岩手県久慈市隣の野田村へ行ってきました。
野田村支援隊に合流する為朝6時に出発。
高速道路を降り国道を・・・前を走る車はパトカーですが
あれ?神奈川県警・・・横浜ナンバーです。
日本全国から被災地に派遣されているんでしょうね。
被災地に着くまでは街の中は驚くほど平穏です。
コンビニも営業してるしガソリンスタンドで並んでるクルマもいません。
本当に意外です・・・・・テレビの報道とは随分違うような・・・・
カーナビの野田村役場までの残り距離が1キロを切った辺りで
風景が突然変わりました。
役場前に到着すると悲惨な爪痕が目の前に・・・・・
海岸通りの国道45号線が見えるほど海に近いこのエリアは全て
津波に飲まれてしまったようです。
体育館でしょうか?
壁が全て無くなって柱がむき出しになっています。
役場前の時計は津波が押し寄せたと思われる3時7分を差して止まってました。
役場も1メートルほど床上浸水したようです。
思い出のアルバムや写真などを拾い集めて洗って乾かしてます。
この様なボランティア作業も心のケアとして非常に大事だと感じます。
瓦礫を撤去したり運搬する作業は今の段階では素人では無理です。
遺体がまだ埋まってるであろうでの作業はプロのオペレーターでも
神経を擦り減らすほどの困難な作業です。
この川から右側は海側です。
川を越えることが出来ずに波に飲まれた方もいらっしゃるでしょう。
自分の家があった辺りで残骸を寄せ捜してるおばあちゃんが話してました。
「ここは私のうちだったけど・・・・なんもなくなっちゃった・・・」
慰めの言葉が見つかりません。
テレビでは今日の朝食は一個のおにぎりを半分に分けて食べただけ・・
といった報道をするのでボク達は「被災地はみんなそういう状況なんだ」
と思ってしまいます。
しかし、ここでは食料が賞味期限が切れた為、大量に廃棄処分されています。
昨日も大型トラックにいっぱいの支援物資が届いたそうですがパンなど日持ちしない
食料も沢山・・・・・・2日後にはまた大量に処分されます。
物資をストックしてる体育館も山のようなダンボール箱が積まれ・・・・・・
なんか・・・・・空回りしてる現象が起きてると感じてしまいました。
被災した方々に本当に必要なのはなんだろう・・・
現場に行ってみて段々分かってきたような気がします。
昨日は60人ほどのボランティアスタッフが野田村に行って様々な作業をこなしました。
平日だというのに仕事を休んでこられた方々が殆どです。
みなさん、本当にご苦労様でした。
明日はこのあとの気仙沼~陸前高田の報告をしたいと思います。
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